理解されるマイノリティと理解されないマイノリティ
異常性癖とLGBTQ+
自分が「Q」だと自認した瞬間、雲が晴れたような気分になったことを今でも思い出します。
もやもやでぶよぶよで形を成していなかった自分の輪郭が、ようやくくっきりとした感じ、というか。
人間は面白いことにいろんな性的嗜好があるじゃないですか。
女性・男性以外に、LGBTQ+なんて言ったりして。
LGBTQ+の一部の方々は、声高々に「私たちの存在を認めてくれ!」なんて主張してますけど、アレすげーよなあ。
「自分は男性だけど同じ男性が好きなんだ!こんな人間もいるんだ!」
とか、プレート掲げて言ってるわけですよ。すげーよ。しかも公共の場でさ。
でもそんなLGBTQ+の方々が叫んでくれたおかげで、今の時代は昔よりも格段に生きやすい世の中になりました。パートナーシップ制度とかさ。
でも、でもさ、思うんです。
それって「許されるマイノリティ」だったからなんじゃないか?って。
私は、幼児性愛や災害に興奮する方々のような異常性癖を持つ方々を責められない。
彼ら彼女らは小さな子どもに愛のアプローチをしただけで、様々なものがそれを許しません。
津波や地震の大型災害でしか興奮を感じられない性的嗜好の方がそれを主張しても、世の中は認めてくれるのか?
結局LGBTQ+は性同一障害と違って、ただの自認です。
自分はこう。こういう人で、こういう性的嗜好を持っていますよ。
私はQ。女性でも男性でもなく中性でも無性でもなく、なんだかよくわからないけど私という人間。女性が好き。
LGBTQ+はよく生きづらい、と言います。普通に異性を好きでいられればどんなによかったか。
でもそれは異常性癖を持つ方々も一緒なんじゃないかと。
本当は小さな子どもが好きなのに、触れられないもどかしさ。
死体にしか興奮できないのに、触れられないもどかしさ。
欠損した体が好きなのに、言えないもどかしさ。
LGBTQ+は今でこそ大勢の人に認知されるようになり、理解も広がりましたが、異常性癖の彼らが理解され、認められることは今後あるのでしょうか。
幼児性愛、災害性愛、死体性愛、私はこれらがどうしても理解できません。
特に災害性愛なんて、人が苦しんで世界も凄惨なことになっているのに、それにしか興奮できないなんて、頭おかしいんじゃねえの? 怖。
とすら思います。
でも、これって置き換えれば普通の方がLGBTQ+の方を見て「男なのに男が好き? はあ? なんで? 気持ち悪。怖」と思うことはごく自然で当たり前なことなのでは?
だって理解できないんだもん。だって意味わかんないんだもん。常識から外れている。
同性愛の方が自分の性的嗜好を隠して、普通に異性と結婚した、なんて話よく聞くじゃないですか。
そんな風に、幼児性愛の方や災害性愛の方も、自分の性癖を隠して、我慢して、異性と結婚したりはたまた同性を好きになったりするのだろうか。
……生きづらそう。とても。
法が縛らなければ、世界はめちゃくちゃになってしまいます。
日本が今、LGBTQ+の結婚を認めていないのは、我々のことがどうしても理解ができない人間たちが「世界がめちゃくちゃになるのではないか」と危惧しているからだと、私の足りねえ脳みそでも理解できます。
でも結局は、認めようが認められまいが、我々は我々の性癖に従うので、なんらかの事情があって結婚して子ども作ったりしない限り、出生率なんてそうそう変わんないよね。
ゲイの方が女性を愛せるか、って言ったらそうなんだろうか?って思うし。
幼児性愛の方が大人を愛せるか、って言ったらそうなんだろうか?って思うし。
でも同性婚を認めちゃったら、なんか…なんかいけねえことが起こるわけだし(by 偉い人)
でも幼児性愛を認めちゃったら、可愛い子どもが大人の標的になるわけだし。
自分とは違う何かを理解するってとても難しいことだと思います。
だからこそ今の世の中は本当にすごい。こんなおおっぴらにLGBTQ+だと言える。
結局何が言いたいかというと、同性婚やLGBTQ+が理解されなくて認められないのは異常なことなんじゃなくて人間として普通のことだなあって。
そんでだからこそ、多くの人たちに理解されてパートナーシップ制度なんてものができる今の世の中はすげーなあって思うのでした。
いろいろあるけど、ぶっちゃけ今の世の中はマイノリティに優しいね。
だって、世の中には素晴らしい映像コンテンツや性グッズ、いろいろ、もうたくさん、溢れてるじゃないですか。
結局最強なのは二次元なんですよ。Q.E.D.
LGBTQ+、異常性癖。認められない部分や理解できない部分もそりゃあるさ。
でも、そういう性的コンテンツを規制するのは、個人的にはやめて欲しいなあと思う所存です。
私は欠損や医療器具などが大好きなので異常性癖民の仲間入り!
超カッコいい義足、たまにTwitterで見かけると大興奮しちゃう。
あとこの間新宿で義足を隠しながら歩いてる人見て、もったいねえなあって思っちゃった。もっとアクセサリー感覚で堂々と歩けばいいのに。って。
こういう考えも、人によっては理解できないんだろうなあ。
人間いろいろ、多種多様で面白いですね。
どんなことも罰するのは法であって、どこからどこまでが罪なのか、私にはわからないけど、みんなこういう生きづらい世の中で精一杯生きてんだよね。
毎日、お疲れ様です。
全ての人類の明日が少しでも幸せな日になるといいな。
おわり
好きな女がいたんだよって話
10年も前の初恋なんて忘れてしまえよ
こんばんは無糖です。
突然ですが私の初恋は同性…女性でした。
一言で言えばボーイッシュ(見た目の話です) ショートヘアで黒髪、ラフな格好にジーパンスタイルの、160前半ぐらいの方でした。
なんで急に初恋の話なんか始めたかというと、さっき自宅に愛のある荷物が届いたからです。
私を想って、送ってくれた荷物。
私のために、送ってくれた荷物です。
ありがとう。
愛のある荷物を受け取るたび、送ってくれた方の顔と一緒に、私はどうしてもこの初恋の人を思い出してしまう。
なぜか。
前置きだけど、初恋の人は、とても美しい方でした。
この美しい人を、なんだか人に教えたくなってしまった。
そんな気持ちを140字で語るのは無理!ってことで、今ブログを書いています。
出会いから気持ちがバレるまでは今回の話では関係のないことなので割愛しますが、
端的に言うと、10年前のクリスマスの日、連絡先を交換したばかりのその方から
「ねえ、無糖ちゃんって私のこと好きなの?」
と電話が入ります。
分かり易すぎるのも問題だと思います。
そのあと、彼女からメールが入りました。
「私も女の子が好きで、あなたと同じ病気を持っていて、そして吃音持ちなんだよ」
正直、
運命かと思いました。
吃音って、男性の方が多い障害と聞きます。
また、当時私が患っていた摂食障害は、女性の方が多い病気です。
かつ、同性が好き。
これを、私の乙女チック脳みそが運命と名付けずになんと言おうかって感じじゃないですか。
そのあとしばらく経ち、たまたま縁があって帰り道を共にした私と彼女。
電車に乗るために別れを告げる私に、彼女はこう言ったのです。
「今、ひとりで独りの家に帰るの、さみしいなあ」
って。
よし!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
ごめんなさい。正直心の中でガッツポーズしてました。
それって一緒に家まで帰って、もしくはお家にお呼ばれするパターンなのでは?
と。
期待に胸がハトよりも膨らんで、終電なんてあっさり捨てましたとも。
彼女は私を自宅に呼んでくれました。
包み隠さず言いますけど、結構な散らかり様でした。暴れた?みたいな。
でも私は彼女が寂しがりやなのを知っていたので、それすらも寂しさの裏返しに見え愛しいとすら思いました。
彼女は、和の装いに着替えました。部屋着で和服をセレクトする人はあまりいないので、私は彼女の美的センスにただただ惹かれました。
お酒の弱い彼女と甘露酒を飲みながら、のんびりいろんなことを話しました。
話の内容は覚えていません。話をした、あの空間がなによりとびきり愛しかった。
彼女が眠くなって自分の布団に潜り込みます。
私はこたつの中に入らせてもらっていたので、私も寝るか、と思い横になった、その瞬間、
「ねえ、一緒に入る?」
私はそのお誘いについ、乗ってしまいます。
甘い夜でした。もう今後、きっと誰を愛してもこの夜を超えることは不可能なくらいに。
特別なことはしていません。ただ、私が愛される怖さにべそべそ泣いて、彼女がずっと抱きしめてくれていた、それだけです。それだけの夜でした。
それでも、人に愛されることに慣れていなかった私にとっては、初めて人から許されたような気持ちになりました。
本当に好きになった人に許されることが、幸福だと知りました。
ちょうど冬だったので、窓際に配置されたベッドは隙間風で若干冷えていたけど、
彼女が隣にいたので寒くありませんでした。
人の体温の暖かさを知りました。
本筋の話はここからで、
その日の朝、私たちはそのまま学校を(学生だったので)休みます。
なんとなく、二人で過ごす空間が心地よかったからです。
そのままグダグダ過ごして、夜。
彼女の元に贈り物が届くのです。
「○○ちゃん、体調悪いの? 連絡しても気づかないみたいだったから、お見舞い持ってきた!」
彼女の友人からでした。
メッセージは数分前のメールで、荷物は玄関の前に置いてありました。
彼女は急いで玄関の扉を開けて、コンビニ袋に入った食べ物が置いてあるのを見て、
泣き出しました。
「ありがとうありがとう、気づけなくてごめんなさい。ありがとう、心配させてごめんなさい」
私は、なんて悪いことをしたんだろう、と思いました。
目の前でうずくまって泣いている、この世でとびきり好きな人が、友人を欺いてしまったこと、そしてメールにすぐ気づいてあげられなかったことに申し訳なさを感じて泣いている。
そんな彼女の背中をさする資格は、私にはなかった。
私が我欲で私の好きな人と一緒にいたせいで、好きな人が傷ついてしまった。
好きな人と、好きな人の友人に迷惑をかけてしまった。
そして何よりも、友人のために涙を流せる彼女が、あまりにも魅力的に映ってしまった自分を呪った。
そんな感情に浸っている場合ではないのに。
いますぐ彼女に何か。何かをしなければ。
何を…??
……。
愛ある荷物を受け取るたびに、私は彼女のこんな姿を思い出すのでした。
私はあのとき、何を、どうすれば、正解だったのか。
わからないです。
私が彼女を求めすぎてしまったことが、ダメだったのかな。
だけど、あのときはさ。ずっと一緒にいたかったんだもん。
……。
愛のある贈り物を受け取るたびに、私はありがとうありがとうと泣きます。
愛されることは、当たり前なんかじゃない。
こんな醜い私のために、何かをしてくれる友人たち。
ありがとう。
そして彼女のことを思い出す。
ありがとう、ありがとうと思える気持ちを教えてくれて、人の暖かさを教えてくれて、ありがとうって。
今も、どこかで元気にしてるといいなあ。
おわり。
『Q』としての話【LGBTQ+】
「性別を決めない」まま生きることについて
LGBTQ+ってな〜んだ?
私もベラベラ喋る前にちゃんと調べとかんと、って思っていろいろ調べまくってここにつらつら書いていたのだけど、こちらのサイト
[第1回]LGBTQ+用語の第一歩 〜これだけは押さえたい基礎中の基礎〜 | 東京レインボープライド
https://tokyorainbowpride.com/magazine/lgbtqcourse/10419
にぜ〜〜んぶ書いてあったので全部消しました。
LGBTって難しいね。そりゃそうだよね。何十億人もいるこの世界、本当に本当のストレートな人なんていないのかもしれない。
一応クッソ大きくまとめると、
Aブロック
- 自分を女か男かどっちかであると思っている人
- 自分を男でも女でも両方であると思っている人
- 自分を男でも女でもないと思っている人
- 自分が男か女かよく分からん!て人
- 自分を男か女か決めていない人
と、
Bブロック
- 恋愛対象が異性の人
- 恋愛対象が同性の人
- 恋愛対象が両方の人
- 恋愛対象を決めていない人
- 恋愛対象がない人
と、
Cブロック
- 恋もするし性的欲求もあるよ!って人
- 恋はするけど、性的欲求はないよって人
- 性的欲求はあるけど、別に恋はしないよって人
- 恋もしないし性的欲求も別に感じないよって人
って感じに分けることはできそう?
そしてAブロック、Bブロック、Cブロックを掛け合わせることでその人が見えてきそうだよね。
今回長い間更新してないこのブログを書いたのは、
Q[クエスチョニング]について話そうかな、なんて思ったからでした。
QはLGBTの中でも割と少なめで、っていうのも、
Qの方って自分の性別についてずっと悩んでるか固執してない方がほとんどだからだと思うんです。なのであんまり自分はQです!って発言したりしないんだと思う…けど、どうなんでしょうか。
結構Qっていると思うんだけどなあ。みんなそんなに自分が女か男か考えてるもの?っていうか、自分や相手が男か女かなんてどうでもよくない?
アンダーラインを引っ張ったここ、恐らくQの人が言いがちです。
あれ!?自分も!?って思った人はQかTの可能性があります。
Qだった場合は私と友だちになってください。日夜語り合いましょう。
ちなみに私は上のクッソ大まかにまとめた箇条書きリストで言うと、
Aブロック 5
の
Bブロック 4
の
Cブロック 1
になります。
Qって特にトランスジェンダーと似ていて、Qの人でトランスジェンダーに移った(性自認は揺らぎますし後からいくらでも変わっていきます)人もいると思います。
Qは「自分って女か男、どっちなんだろうな?わかんねえな……」って人みんなQなわけなんだけど、問題はそこをきちんと「自認するか」ってことなんですよね。
私がQを自認したきっかけは同性に恋をした後に、異性に恋をしたからです。
もともと自分のことを女とも男とも思っていなかったし、自分は自分だって認識は強くあったけど、せめて最低限どっちかであるとは思っていたしどっちかになりたいとは思っていました。
だから最終的に自分ってトランス(トランスジェンダーの略)のバイなのかなあ…とかちょっとモヤモヤしながらぼんやり思いながら過ごしていたけど、LGBTについて調べているうち、急に腑に落ちた瞬間があったんです。
ワイ、
男でも女でも、どっちでもねーや!
って 。
トランスジェンダーが「男でも女でもある」ならば、
クエスチョニングは「男でも女でもない」なんです。
トランスジェンダーが「男か女かもしくは両方か決めている」ならば
クエスチョニングは「男でも女でもないと決めている」なんです。
無性や中性というジェンダーもありますが、
無性は「完璧に性別がない」と思っている人なので違う。
中性は「性別が男と女の中間である」と思っている人なので違う。
私は、「男でも女でもないと、決めた」
それはトランスジェンダーのように男でもあり、女でもある形なのかもしれない。
それは無性のように性別がないことなのかもしれない。
だけど、私は周りの人に女と思われるのも嫌だったし、男になるのも嫌だった。
そして私は好きになった人と、女性を愛すように夜を過ごしたかったし、友達と一緒に遊ぶかのように日々を過ごしたかった。
それは女として愛されたいのでも、男として愛されたいのでもない。
私は私という一人の個体として、愛されたいだけなんだなって。
性別なんてどうでもいい。男か女かなんてどうでもいいじゃないか。
それがQへの自認に至った経緯なんだけど、果たしてこれに「わかる!」となる人はどのぐらいいるんだろうな。
トランスジェンダーの方って、男か女かに割とこだわりがあるんですよ多分。
女らしい格好したいとか、ここは男らしく行きたいんだ、とか。
でもQにはそれがない。女らしい、男らしいにとにかく嫌悪感を感じるというか、そこになんの意味があるんすか?みたいな。俺は俺じゃん。みたいな。
性別にほぼこだわりがない。
こだわりがないので、私は人を男か女かではなく一人の人間として恋をします。
その人が私にとって憧れで、とても魅力的であるならば、性別なんてどうでもいいです。
どうでもいいんです。
でも、この「どうでもいい」がとてもネックで、
男の人は「どうして俺を男として見てくれないんだ?」って言うし、
女の人だって「私のこと女として見てる?本当は異性愛者なんでしょ?」とか言うし、
もう本当大変。
男を男として、女を女として愛せるストレートやゲイやビアンの方が本当に羨ましくて仕方がないです。だって男を男として、女を女としてまっすぐに愛せるんだもん。いいなあ。
「私はあなたを一人の人間として好きなのよ。男だろうが女だろうが関係ない」
って想いが、Q以外の人にはなぜだかどうして、一向に伝わらない。
ストレートの人もゲイの人もビアンの人も、みーんな自分を「自分の自認してる性で愛して欲しい」と思ってるように感じる。
それをどうでもいい、なんて言われちゃ、悲しいのもわかるけどね。
例えば好きになった人間が男だったとして、
そいつもうっかりなぜか私のことを好きになったとして、
なんか知らないけどカッコつけたくなって急に男っぽい行動したりする時あるじゃないですか。男って。高い時計を着けてみるとかさ。
こちとら
フーン
ですよ。
お前が男らしさを見せようが、どうでもいいんで。私が惚れたのはそこじゃないんで。ありのままのお前なんで!
それを言っても信じてくれないし、あっちはあっちで「お前本当に俺のこと好き?男として見てる?」とか言ってくるし。めんどくさい。
そうなった時点で、私の好きだった「ありのままのあなた」が消えてしまうわけですよ。
こんなん悲しいでしょ。恋は人を変えると言うけれど、それってより男らしく、より女らしくって意味でしょ?悲しいな。どうせ変わるなら、お互いの意向に沿うように変わっていきたいし、相手もそうして欲しい。エゴだけどさ。でも、そういうエゴこそ、恋愛でしょ…?
あなたは自分の性別はこうである、とはっきり言えますか?
自認って、多分そういうことだと思います。
自分で決めたこと。体が女だから、男だからとか、誰かにお前は女だから、男だからって言われたことじゃなくて、自分でこうだと決めていること。
Qでアセクシャルなら、もっと自由に生きれたかもしれない。
でもアセクも結構つらいんだよな。自認してた時期あるからわかるけど。
恋愛して楽しそうな人見ると、「俺ってどんだけ寂しいやつなんだよ…」ってなるのよね。恋愛できないから。一生このまま寂しい生活が続くんかな…みたいな。
結局Qだと自認しても似たようなこと思ってるけど。どうせわかってもらえないから恋愛すんのやめとくか…めんどいし…でも一生このまま寂しい生活が続くんかな…。いいなあ自分を一番に愛してもらえる人は…。いいなあ。ストレートやゲイやビアンの人は…!!!
人を愛す、ってどういうことなんだろうね。
どうやったら自分を自分らしくありのまま、愛してもらえるんだろう。
どうやったら相手を相手らしくありのまま、愛し続けられるだろう。
でもそういうのって自分の認識とは関係なしに、突然「分かる」ものだと思ってます。
昔、自分がQだと自認したときみたいに。ある時突然。ああ!って。
男を好きになって子どもを作れ、が当たり前で、
きっと家族も孫が見れたら幸せなのかな、とか思ったりして、
それができない自分ってほんと価値がねえな、とか思ったりして。
それでも私は、性別を決めないままQとして生きていこうと思います。
は〜〜遊戯さんと付き合いてえな〜〜〜〜!!!!!!
おわり。
BUMP OF CHICKENの話『aurora arc』
えっBUMP OF CHICKENの曲って500件もあるの!?
最近BUMPの曲がストリーミング配信されるようになったから、とりあえず音楽配信サービスで曲数が一番多いらしいLINE MUSICに登録したんだけど、BUMPの検索結果が500件もあってウオッ!?となった。
まあ20年以上も続けていれば、500件の曲数は当たり前なのかもしれないけど、その500件と共に生きてきたんだなあと思うと感慨深くなったりもする。
2019年7月10日に新盤『aurora arc』が発売されました。
古いファンからすれば3年5ヶ月ぶりなんてそんなに驚くようなことではなくて、ああ、BUMPのペースだなって感じで。むしろここ最近新曲出すペースが早すぎて、いままでの「一年に一曲新曲出る」みたいなペースに慣れてた私は
「えっまた出すの!?」
「えっまたタイアップなの!?」
「えっ!?」
って逆に不安になるというか。
そんなスパンで曲出して大丈夫!? BUMP疲れない?! もっとゆっくりでもいいのよ、全然待つよ、ってね。
そんな『aurora arc』がアルバムランキングで1位を記録したみたいですね。
とても嬉しいです。ニュース見てとても喜びました。
私がよく行くコンビニでも「Aurora」が流れてて、その曲終わるまでコンビニ出れなかったりして。
初週198,254枚? ランキングとかあんま見ないからこれがどの程度なのかはいまいちピンときてないけど、ほぼ20万人が発売週にこのアルバムを手に取った事実がスゲーってことはわかります。
正直、案の定いままで出たシングルがほとんどのアルバムだから、どうしよっかなーお金も余裕あるわけじゃないし、来月にでも見送ろっかなー初回限定版は欲しいけど……とかタワーレコードで行ったり来たり、不審者レベルで迷いに迷ったんだけど、その3日後ぐらいには購入してましたね。BDが付いてるやつ。
アルバムを1曲目から順番に聴く、を徹底してるのはBUMPファンならではだと思うんだけど、どうなんかな。
BUMPの曲は物語性があって、それがアルバムでも1曲目から通して聴くことで物語になっていたりするじゃないですか。
『THE LIVING DEAD』や『ユグドラシル』や『orbital period』は1曲目と最後の曲がOPとEDになってるしね(OPとEDって明記されてるわけじゃないから勝手にOPとEDって思ってるだけなんだけど)。
最近はOPだけ入ってるのかな(WILL、aurora arc)
OPがないアルバムでも、BUMPのアルバムって全てにおいて1曲目が
「始まりですよ!!」
って曲で始まるんですよ。
- FLAME VEIN……ガラスのブルース
- jupiter……Stage of the ground
- COSMONAUT……三ツ星カルテット
- Butterflies……GO
ガラスのブルースは今じゃもうEDみたいな雰囲気あるけど。
あとBUMPの音源は「ミュージックプレイヤーのサウンド設定がフラットでも最適な音バランス」にしてくれてるらしいです。ありがてえ。
まあ、BUMPって「僕らの音楽が君の元へ届いた瞬間、その音楽は君だけのもの」ってスタンス? ポリシー? じゃないですか。
だからこういう風に聴けとか、この順番で聴け、とか言うつもりはないんですけど、私はやっぱり1曲目から順番に聴きたいかな。初見ではね。
『aurora arc』良かったなあ〜。今も聴きながら書いてるわ。
アルバムで言うと『RAY』あたりからBUMPの音楽ってまた新たな変化があったと思うんだけど、
あの昔のBUMPのバンドサウンドでギターを重ねて音を厚くしておりゃあああ!!!って感じがなくて、シンセでポップでライトな曲が増えました。
BUMPってもうjupiterの頃から「昔の方が良かった」って言われ続けているバンドで。
要は初期の頃から今現在までずっと音楽が変わり続けていているってことで。
……それってすごいことじゃね?
Twitterでも言ったけど、YouTubeのMVに「俺らが学生のころに聴いていたBUMPを今の学生が聴いてる」ってコメントがつけられていて、私このコメントで目が醒めたみたいになって。
誰の言葉か忘れたけど、「変わらない」ってことは「変わり続けている」と同義だと。
私たちが学生のころ真っ暗な部屋で、ベッドの中で、電車の中で、逃げ隠れた場所で、イヤホンとかヘッドホンとかで聴いていたBUMPの曲を今の学生が聴いている。
受験とか、そういう、「頑張らなきゃいけない部分」のときにBUMPの音楽がある。
BUMPの音楽って確かに変わりました。でも、BUMPの根っこというか、「伝えたいこと」って変わってねーなって。
若い時に直面するアイデンティティのあれやそれ。
迷いとか不安とか。
自分の一番の味方は自分だったり、カバンには一個しか入れていけなかったり、手を伸ばしてくれたり。
私の曲の受け取り方になっちゃうけど、BUMPってめっちゃ一生懸命走ってる時に聴く音楽ってよりも、めっちゃ一生懸命走ってて、ふと段差とかにつまづいてすっ転んで、いてえいてえもう走れねえよ、って時に聴く音楽だなって。
いてえいてえって言ってるときに絆創膏貼ってくれて、「いてえよな〜」っつって。
怪我が治りはじめてもう一回俺、走れるかもしんないってなったときに「おう、頑張ってこいよ」って背中を押して、手を振ってくれる。
そんな音楽。
『aurora arc』一曲ずつ思ったこと言って掃除しよ〜。
-
aurora arc:星がまたたくみたいな音。ああ、始まるな〜って感じの曲。わくわくが止まらねえな!? 今回のアルバムってシングルがほとんどなのに全体的にめっちゃ「宇宙」でまとまってるよね。
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月虹:!?!?!?! ってなるやつ。突然の疾走感で!?となる。もう嬉しさがみなぎった。しっかりバンドサウンドでしっかり音が厚くて昔のBUMPらしさもあるけど、今の音もちゃんとあって。「あなた一人の呼吸のせいで」って歌詞が好き。あと転調するとこ好き。終わり方もめっちゃ好き。
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Aurora:人生全肯定ソング。リズム隊が引き立ってて裏でギターがキラキラやる始まり、心がざわざわする。音ハメでとんとんとん(「拾えたら」「クレヨンで」等)、といくところ、好き。サビでぱーんと世界が開けていくような感じたまらんな。歌詞があまりに優しくて涙が止まらんのよな〜〜最後のサビの「ああ、なぜ、どうしてと繰り返して」って歌詞がぐうっ……ってなる。
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記念撮影:MVめっちゃおしゃれなやつだ〜。静かに語りかけてくる曲。この曲PATHFINDERで聴いたけど口あんぐりだった。技術力がすごすぎて。ロストマンが絶対に着地しない曲だったら、この曲はしっかりと地面に足をつけて一歩一歩確かめながら歩いていくみたいな感じがします。
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ジャングルジム:ふ、藤原基央の歌詞だあ…!! ベンチとコーヒーみたいな、銀河鉄道みたいな、BUMPの曲たちでよく見かける「世界を俯瞰する」曲ですね。サビで一箇所だけでーんと♭になるとこドキッとする。好き。BUMPのアコースティックサウンドの曲いいよねえ。アルペジオ綺麗だな……。夜寝るときに聴くのがオススメ。「欠けた月の黒いところ」って「欠けた心にある見えない部分」って私は解釈したけど皆さんはどう受け取りましたか。
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リボン:はあ…。もう…これは…。この曲はもう別次元でクソデカ感情ですよ。「あと何があった、教えて」が良すぎる、「解けないわけじゃない、結んできたんだ」って歌詞も好きすぎる、そうだよな、大変なこともたくさんあったんだろうけど、その都度、結んで来たんだな…。何度聴いても感慨深いなあ。泣いちゃうぜ!? 何度だって言うけど三ツ星カルテットで「俺は星じゃないから三ツ星カルテット」って言ってた藤くんがこの曲で「並べても同じでありたい」「赤い星並べてどこまでも行くんだ」って歌ってるのがもうクソデカ感情がエベレスト越えの山になって大噴火します。何度か目の「もう俺一生BUMPについてくわ」
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シリウス:で、出〜〜〜!!!!!っっっけえ!GOでのベースの入りもそうだけど、BUMPの曲で徐々にこう楽器が増えてくみたいなとこ、めちゃくちゃ好きなんですよお〜。チャマのベース大好き。ドラムもギターも好きだけどこの曲特にベースが鬼ほど好きです。サビに入る時にギターが俺俺!!みたいな感じで主張するとこも最高に好き。BUMPらしい曲じゃなあい? 3:17からのベースほんっとやばいから聴いて。LOVE。パンドーラも途中まで観てたけどすごいお話難しかった。SFってお話難しいよね…。
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アリア:あまりに綺麗すぎてここわどこだ??ってなるやつ。プラネタリウム聴いてるときに近い。ダダダダダダダダって動きが好き。実家の祖父が亡くなったとき、ずっと聴いてました。「何も言えなかった、忘れたくなかった」って。ライブで聴けてすげー嬉しかったよ。このアルバムいち、スルメ曲だと思います。BUMPの曲の中でも異色だし、微妙、って思っても、何度も聴いてるうちに世界が開けるし、開けた。
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話がしたいよ:ふ、藤原基央の歌詞だあ…!!!(2回目) 「お薬貰ったし 飲まないし」のところ、飲めよ!!って思った。ここあまりに藤原基央すぎて笑ってしまった……「ガムを紙にぺってして」のとこもあまりに藤原基央すぎてふふっとなるじゃんな。歌詞が可愛い。歌詞が可愛すぎて気を取られるけどララララ……(2:47〜)のとこで右耳で鳴ってるギタークッソかっけえからここライブで聴きたいな〜。
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アンサー:BUMPの曲で一番好きな曲は何?(BUMPファンが一番困る質問)ってやつでおそらく3番目ぐらいに頭の中に浮かびそうな曲。サビが死ぬほど好きなんだよなあ〜気持ちがぎゅうぅっっっとなる。あと私BUMPのじゃん、じゃん、じゃん、じゃんっていう4拍子の基本みたいなビートとか、あと同じリズムを繰り返すところ好きなんですけど、今聴いたらこの曲もそうだな。同じリズムの中でたまにギターがかっけえ音鳴らすみたいなやつ(Smileバンドバ〜ジョンの最後みたいな)好き。この曲もPATHFINDERで聴いたけどすげーかっこよかったよ。
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望遠のマーチ:曲がかっけえすぎる。これ妖怪ウォッチなんだよな…(ほんとなぜ?となる…いやなぜもなにもないんだが…)文章にまとめるのがめんどくせえって思うほど好きなリズム、好きな箇所が多すぎるんですよ、イントロの静けさからの逸るようなリズムとかギターの動きのあとにベースが応えるように鳴ったりとか、サビで藤くんが「行こうよ」って歌った後に楽器たちが代わりばんこに歌うように鳴ったりとか、Bメロから少しリズムにアレンジが加わるところとか、「どれだけ待ったって誰も迎えにこないじゃない」って歌詞とか、2:16〜のドラムの細かいリズムとか、それに乗っかって動くギターとか、ちょこちょこ入るベースとか、「叫びたい言葉が輝いてる」の強さも、好き。一つだけ違う「行こうよぅおっぉー!!」も好きだし「へい!!!」も好き。こんなに楽しくてこんなにワクワクしてこんなに気分がアガる、こんな曲も作れるんだBUMP OF CHICKEN感がすごいです。いやもう大好き。
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Spica:星がまたたくようなぴこぴこ音がちかちかと耳を飛ぶのが可愛い。サビに入るときに唐突に重いギターが入ってきて最初聴いたときビクウッ!?となったよね。ぴこぴこと重いギターの対比がとても好きです。つうか単純にギターかっけえです。なにこれ。エフェクター何使ってるの? そのへんあんまり詳しくないので語れないけど、この曲全体的にギターの音が好き。
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新世界:あ^〜〜〜;;; ウキウキワクワク楽しいBUMPがまた来ました。この曲も結構異色じゃないですか? 最近のBUMPは結構生きるっていいよね、って言ってくれるんですけど、この曲はもうその最上級というか。ベイビーアイラービューとは歌ってるけどこちらもBUMPの曲なので恋愛ソングではないはずです。いつもの「君と僕」「自分ともう一人の自分」とも聴ける。どう聴いてもOKなのがBUMPソングの魅力。タイトルが「新世界」って。ポップな歌詞のわりにタイトルが壮大なので始めこの曲と新世界ってタイトルが噛み合わなかったです。
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流れ星の正体:藤くんが誕生日のときの引き語りで知った曲。引き語りだと思っていたので、バンドの音が始まった瞬間めっっちゃくちゃ興奮した。私の好きなじゃんじゃんじゃんじゃんのリズム。ファンのお手紙からインスピレーションを受けた曲らしいです。私BUMPの曲はなるべく情報が何もない状態で聴きたい(自分だけの音楽にしたいってのもある)ので雑誌とか読まないし曲ができたきっかけとかわざわざ調べないんですけど、なんかね、ZIPで言ってた。ギターとマラカスとドラムで期待させてからの、3:59ですよ。ああ〜〜〜;;;;涙涙って感じでしょ、音に心がめちゃくちゃにされるってこういうことなんだなって思うよ。厚い音。めっちゃかっけえです。
マジ今回のアルバムどんどん感情がたかぶっていって、どんどん興奮してきて、うわああああって音にボコスカ殴られた後にスゥーッ……って終わるよね。なんか騒いでる間に終わっちゃったよ……。
500件もあるの!? で始まったブログですけど、5500文字以上書いた。
140字で収まるわけがなかったな。
こんな感じで語彙力のない、ただ興奮して好きなものを語るだけの誰が読むんだ?ってブログ、やっていきますね〜。
それじゃまた機会があれば。
END.