140字じゃ語りきれない

140字じゃ語りきれないのでブログやりま〜す

『Q』としての話【LGBTQ+】

「性別を決めない」まま生きることについて

 

LGBTQ+ってな〜んだ?

私もベラベラ喋る前にちゃんと調べとかんと、って思っていろいろ調べまくってここにつらつら書いていたのだけど、こちらのサイト

 

[第1回]LGBTQ+用語の第一歩 〜これだけは押さえたい基礎中の基礎〜 | 東京レインボープライド

https://tokyorainbowpride.com/magazine/lgbtqcourse/10419

 

にぜ〜〜んぶ書いてあったので全部消しました。

LGBTって難しいね。そりゃそうだよね。何十億人もいるこの世界、本当に本当のストレートな人なんていないのかもしれない。

一応クッソ大きくまとめると、

 

Aブロック

  1. 自分を女か男かどっちかであると思っている人
  2. 自分を男でも女でも両方であると思っている人
  3. 自分を男でも女でもないと思っている人
  4. 自分が男か女かよく分からん!て人
  5. 自分を男か女か決めていない人

 

と、

 

Bブロック

  1. 恋愛対象が異性の人
  2. 恋愛対象が同性の人
  3. 恋愛対象が両方の人
  4. 恋愛対象を決めていない人
  5. 恋愛対象がない人

 

と、

 

Cブロック

  1. 恋もするし性的欲求もあるよ!って人
  2. 恋はするけど、性的欲求はないよって人
  3. 性的欲求はあるけど、別に恋はしないよって人
  4. 恋もしないし性的欲求も別に感じないよって人

 

って感じに分けることはできそう?

そしてAブロック、Bブロック、Cブロックを掛け合わせることでその人が見えてきそうだよね。

 

今回長い間更新してないこのブログを書いたのは、

Q[クエスチョニング]について話そうかな、なんて思ったからでした。

QはLGBTの中でも割と少なめで、っていうのも、

Qの方って自分の性別についてずっと悩んでるか固執してない方がほとんどだからだと思うんです。なのであんまり自分はQです!って発言したりしないんだと思う…けど、どうなんでしょうか。

結構Qっていると思うんだけどなあ。みんなそんなに自分が女か男か考えてるもの?っていうか、自分や相手が男か女かなんてどうでもよくない? 

アンダーラインを引っ張ったここ、恐らくQの人が言いがちです。

あれ!?自分も!?って思った人はQかTの可能性があります。

Qだった場合は私と友だちになってください。日夜語り合いましょう。

 

ちなみに私は上のクッソ大まかにまとめた箇条書きリストで言うと、

Aブロック 5

Bブロック 4

Cブロック 1

になります。

Qって特にトランスジェンダーと似ていて、Qの人でトランスジェンダーに移った(性自認は揺らぎますし後からいくらでも変わっていきます)人もいると思います。

Qは「自分って女か男、どっちなんだろうな?わかんねえな……」って人みんなQなわけなんだけど、問題はそこをきちんと「自認するか」ってことなんですよね。

 

 

私がQを自認したきっかけは同性に恋をした後に、異性に恋をしたからです。

もともと自分のことを女とも男とも思っていなかったし、自分は自分だって認識は強くあったけど、せめて最低限どっちかであるとは思っていたしどっちかになりたいとは思っていました。 

だから最終的に自分ってトランス(トランスジェンダーの略)のバイなのかなあ…とかちょっとモヤモヤしながらぼんやり思いながら過ごしていたけど、LGBTについて調べているうち、急に腑に落ちた瞬間があったんです。

ワイ、

 

男でも女でも、どっちでもねーや!

 

って 。

トランスジェンダーが「男でも女でもある」ならば、

エスチョニングは「男でも女でもない」なんです。

トランスジェンダーが「男か女かもしくは両方か決めている」ならば

エスチョニングは「男でも女でもないと決めている」なんです。

無性や中性というジェンダーもありますが、

無性は「完璧に性別がない」と思っている人なので違う。

中性は「性別が男と女の中間である」と思っている人なので違う。

私は、「男でも女でもないと、決めた」

 

それはトランスジェンダーのように男でもあり、女でもある形なのかもしれない。

それは無性のように性別がないことなのかもしれない。

だけど、私は周りの人に女と思われるのも嫌だったし、男になるのも嫌だった。

そして私は好きになった人と、女性を愛すように夜を過ごしたかったし、友達と一緒に遊ぶかのように日々を過ごしたかった。

それは女として愛されたいのでも、男として愛されたいのでもない。

私は私という一人の個体として、愛されたいだけなんだなって。 

性別なんてどうでもいい。男か女かなんてどうでもいいじゃないか。

 

それがQへの自認に至った経緯なんだけど、果たしてこれに「わかる!」となる人はどのぐらいいるんだろうな。

トランスジェンダーの方って、男か女かに割とこだわりがあるんですよ多分。

女らしい格好したいとか、ここは男らしく行きたいんだ、とか。

でもQにはそれがない。女らしい、男らしいにとにかく嫌悪感を感じるというか、そこになんの意味があるんすか?みたいな。俺は俺じゃん。みたいな。

性別にほぼこだわりがない。

 

こだわりがないので、私は人を男か女かではなく一人の人間として恋をします。

その人が私にとって憧れで、とても魅力的であるならば、性別なんてどうでもいいです。

どうでもいいんです。

 

でも、この「どうでもいい」がとてもネックで、

男の人は「どうして俺を男として見てくれないんだ?」って言うし、

女の人だって「私のこと女として見てる?本当は異性愛者なんでしょ?」とか言うし、

もう本当大変。

男を男として、女を女として愛せるストレートやゲイやビアンの方が本当に羨ましくて仕方がないです。だって男を男として、女を女としてまっすぐに愛せるんだもん。いいなあ。

 

「私はあなたを一人の人間として好きなのよ。男だろうが女だろうが関係ない」

って想いが、Q以外の人にはなぜだかどうして、一向に伝わらない。

ストレートの人もゲイの人もビアンの人も、みーんな自分を「自分の自認してる性で愛して欲しい」と思ってるように感じる。

それをどうでもいい、なんて言われちゃ、悲しいのもわかるけどね。

 

例えば好きになった人間が男だったとして、

そいつもうっかりなぜか私のことを好きになったとして、

なんか知らないけどカッコつけたくなって急に男っぽい行動したりする時あるじゃないですか。男って。高い時計を着けてみるとかさ。

こちとら

フーン

ですよ。

お前が男らしさを見せようが、どうでもいいんで。私が惚れたのはそこじゃないんで。ありのままのお前なんで!

 

それを言っても信じてくれないし、あっちはあっちで「お前本当に俺のこと好き?男として見てる?」とか言ってくるし。めんどくさい。

そうなった時点で、私の好きだった「ありのままのあなた」が消えてしまうわけですよ。

こんなん悲しいでしょ。恋は人を変えると言うけれど、それってより男らしく、より女らしくって意味でしょ?悲しいな。どうせ変わるなら、お互いの意向に沿うように変わっていきたいし、相手もそうして欲しい。エゴだけどさ。でも、そういうエゴこそ、恋愛でしょ…?

 

あなたは自分の性別はこうである、とはっきり言えますか?

自認って、多分そういうことだと思います。

自分で決めたこと。体が女だから、男だからとか、誰かにお前は女だから、男だからって言われたことじゃなくて、自分でこうだと決めていること。

Qでアセクシャルなら、もっと自由に生きれたかもしれない。

でもアセクも結構つらいんだよな。自認してた時期あるからわかるけど。

恋愛して楽しそうな人見ると、「俺ってどんだけ寂しいやつなんだよ…」ってなるのよね。恋愛できないから。一生このまま寂しい生活が続くんかな…みたいな。

結局Qだと自認しても似たようなこと思ってるけど。どうせわかってもらえないから恋愛すんのやめとくか…めんどいし…でも一生このまま寂しい生活が続くんかな…。いいなあ自分を一番に愛してもらえる人は…。いいなあ。ストレートやゲイやビアンの人は…!!!

 

人を愛す、ってどういうことなんだろうね。

どうやったら自分を自分らしくありのまま、愛してもらえるんだろう。

どうやったら相手を相手らしくありのまま、愛し続けられるだろう。

でもそういうのって自分の認識とは関係なしに、突然「分かる」ものだと思ってます。

昔、自分がQだと自認したときみたいに。ある時突然。ああ!って。

男を好きになって子どもを作れ、が当たり前で、

きっと家族も孫が見れたら幸せなのかな、とか思ったりして、

それができない自分ってほんと価値がねえな、とか思ったりして。

 

それでも私は、性別を決めないままQとして生きていこうと思います。

 

は〜〜遊戯さんと付き合いてえな〜〜〜〜!!!!!!

 

おわり。